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zoom RSS 3日目

<<   作成日時 : 2011/03/13 15:32   >>

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東日本で地震が起きて3日目となりましたが、自分はどうにか無事です。


地震発生当初の11日は都内繁華街某所のビル7階に友人と2人でいたのですが、ゆらゆらとビル全体が1分ほど揺れれて、その直後、これまで感じたことが無い大きな揺れが1分ほどありました。最初の揺れでは普通に立てていましたが、直後の揺れでは立っていられませんでした。揺れている最中には、天井の板が剥がれたり、棚の物が落ちたりと凄いあり様でした。揺れが治まった後にビルから避難したのですが、大通りの前には沢山の人が避難していましたね。
その後、10〜20分程、その場で携帯で電話やメールを通じず友人の携帯のワンセグ放送で宮城県沖で大きな地震が起こったのを知りました。避難していた人達の一部はビルやお店に戻ったりしていました。

それから、友人と相談して近くの駅まで行くことにして、移動している最中に再び大きな地震が起き、近くの高架の高速が「ガ〜ン、ガ〜ン」と不気味な音がしていました。道を挟んだ向かいの10階建てほどビルを見てみると見たこともない感じで揺れていて窓側にいたサラリーマン風の男の人は動けないようでしゃがんでいたのを見たときは恐怖や不安を感じました。

そして、首都圏の鉄道は全て運転を中止しているという情報を聞き、どうして良いのかも分からないまま徒歩で15分程で行ける上野駅まで移動することにしました。移動している途中で自分の携帯にradikoが入っていることに気がついて聞いていたのですが、そこで流れていた情報は信じられない事が殆どで「10m近くの津波を観測した」、「宮城県で死者多数」等といったものです。

上野駅に到着すると、もの凄い数の人がいて、鉄道の運転を再開やタクシー・バスを待つ人達でした。後々のラジオやテレビの情報だと上野駅だけでも1500人〜2000人いたそうですが、自分にはそれ以上いたようにも思えます。その頃にはメールの送信(受信は30〜40分遅れて)
が出来るようになっていました。
上野駅またはその周辺で約3時間鉄道の運転を再開を待っていましたが、ラジオを聞いていると「当日中には鉄道の運転の再開しない」とのことで、友人と共に徒歩で帰宅することにしました。徒歩での帰宅を決めたのはちょうど午後7時前後で、気温が寒かったのを覚えています。今、思えばその時の状況を写真に撮っておけばと思いますが、その時は全く考えていませんでした。

徒歩で帰宅しようとする人は沢山いて、車道は渋滞、歩道は帰途に着く人達で少し異様な状態でした。途中のコンビニではトイレに並ぶ人や食料(といっても殆ど無い)、飲料水や充電器、カイロ、電池等を買う人が沢山いました。
自分達は、帰途の途中で家族と電話やメールで連絡が出来て、待ち合わせをして迎えに来てもらうことにしました。それでも、待ち合わせをして場所に行くまで上野駅を出発してから3時間半ほど経過していて待ち合わせ場所到着してから車で帰宅したのは午後12時近くでした。

自宅の被害と言えば、食器やグラスが何枚か割れたり、物が落ちたり一部破損したぐらいです。


2日目は、自宅の片付けや親戚、知人・友人に連絡をしたりしていました。
テレビ等によって地震の被害の一部を知ることができたのですが、被災地域の被害の大きさに驚いています。


地震による被災に心よりお見舞い申し上げます。


今回の地震で改めて、地震の恐ろしさや、事前準備の必要性、発生時の対応や行動について考えさせられました。

このような事を、忘れないようにしないためにもここに記載し公開します。

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